「笑い」サルとの違い

山極壽一 (京都大学教授)
2013年02月24日

◎人々の和の最良手段

笑う門には福来ると言う。笑い声の絶えない家には幸福がやってくるという意で、楽しく朗らかに日々を過ごすことの大切さを伝える言葉だ。笑いとはそもそもどんな表情だろう。冷笑、苦笑、失笑など、楽しいとは言えない笑いもある。人間の笑いは楽しさや喜びだけを表しているわけではない。私たちは何のために笑うのだろう。動物は笑わない。馬にはフレーメンという笑いに似た表情と声があるが、これは発情の証しであってホルモンの作用による。犬は笑う代わりに尾を振るし、猫もゴロゴロ喉を鳴らすが無表情だ。彼らの顔には毛が生えていて、たとえ笑っても表情がよく見えない。

人間に近いサルは笑いの表情があるが、二つの由来があると言われている。原始的な夜行性のサルは笑わない。夜で顔が見えないし、彼らは単独で縄張りを作って暮らしていることが多く、仲間同士で笑う必要がない。自分の縄張りに他のサルが侵入したらほえて威嚇し、追い払う。自分が他のサルの縄張りに入ったら同じことをされる。いっしょにいられるのは交尾期のオスとメス、それに成長期の子供と母親だけで、複数のサルがいっしょにいることはない。だから、笑いとは人間の祖先であるサルの仲間が、昼の世界に進出し、群れを作っていっしょに暮らし始めてからできた表情であることがわかる。サルはいったいどういうときに笑うのだろう。

ニホンザルは、強いサルに出合ったとき、歯をむき出して笑いのような表情を見せる。でも楽しくて笑っているわけではない。相手に自分が劣位で、敵意がないことを知らせ相手から攻撃されないようにしているのだ。ニホンザルは食物や休み場、交尾相手などをめぐるトラブルを、すぐに勝ち負けを決めて解消しようとする性質をもっている。相手が自分より強ければすぐに敗者の態度を示し、それ以上争いがエスカレートしないようにしているのである。笑いは敗者の表情なのだ。ときにはキッキッとおびえたような声が伴う。それを見ると、相手の強いサルは決して笑わず、堂々と餌を横取りし、その場を占有する。争いを起こさなかったことが笑いに対する応答なのだ。

もう一つのサルの笑いは、遊びの際に現れる。サルたちが取っ組み合って遊んでいるとき、口を開けてかむような行為をする。本気でかむわけではなく、いかにも楽しく興奮した表情だ。ゴリラやチンパンジーなど人間に最も近い類人猿になると、はっきりと笑いと分かる表情を作るし、グコグコグコとくぐもった笑い声が出る。とくに年下の子どもが笑い声を出すことが多く、追いかけ合ったり組み合ったり、遊びが長続きするときは笑い声が絶えない。

人間の笑いは、この二つのサルの笑いに由来すると言われている。微笑は相手に自分が敵意のないことを伝え、相手との緊張を解く。そもそも劣位な態度や謙譲を示すために用いられてきたのかもしれない。微笑は戦わないこと、和解を前提としたあいさつなのだ。微笑を浮かべる相手に尊大な態度をとる者は笑わない。それはサルと同じで、相手の態度によってはまだ戦う用意があることを示している。

でも人間の笑いの多くは、サルたちの遊びの笑いに由来する表情だ。そこには相手と楽しさを共有しようとする気持ちが含まれている。それは遊びには、双方が対等の立場で積極的に参加するという条件があるからだ。どんなに力の強い者でも遊びは相手に強制できない。どちらかがやる気を失えば、遊びは続かない。そのために力の強い方が自分にハンディキャップをつけ、相手の力を引き出すように誘いかける。そして、追いかけたり追いかけられたりというように、頻繁に役割を交代しながら楽しさを追い求める。

人間がよく笑うのは、このような遊びの精神を仲間との関係に取り入れて日常生活を送っているからだ。さらに高い共感能力をもち、仲間の気持ちがよくわかるから、笑いを共有する機会も多いのである。人間は相手からの笑いを期待して笑いかける。自分が笑いの種を提供し、笑いの対象になることで、みんなから笑いを引き出そうとする。それをやり過ぎたり、誤った方向へ行ったりすると失笑や苦笑になるのだ。

アフリカで野生のゴリラとつき合っているとき、だんだん自分の顔の表情が乏しくなっていくことに気がついたことがある。笑う機会が少なく、顔が次第にこわ張ってくる。顔の表情とは人と顔を合わせることによって作られるのだとつくづく思ったものだ。ところで今、私たちは笑うことの多い暮らしを営んでいるだろうか。パソコンに向かい、ペットたちとだけ会話をする毎日を送っていると、表情を作る機会も笑うことも少なくなる。笑いは人間の証しであり、人々の和の最良の手段であることを忘れてはいけない。サルの笑いでなく、福を呼ぶ笑いを浮かべて日々を過ごしたいものである。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2013年02月24日掲載「「笑い」サルとの違い・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。