エコツーリズム

山極壽一 (京都大学教授)
2013年09月22日

◎日本の知見、アフリカに

富士山が世界遺産になった。それは、富士山が日本の文化を育んできた歴史的遺産であり、世界の人々にとって末永く後世に伝える価値があることを意味する。これから富士山とその象徴する日本の文化を体験しようと多くの観光客が世界各地から訪れるだろう。

実は私が長年調査をしてきたゴリラの生息地も早くから世界遺産に登録されており、ゴリラを対象としたエコツーリズムを実施し、地元経済の活性化と野生生物の保全の両立に成果をあげている。アフリカのガボンでも、ここ4年ほど国際協力機構(JICA)や科学技術振興機構(JST)の協力で、「野生生物と人間の共生を通じた熱帯林の生物多様性保全」を行ってきた。その中に野生のゴリラを主たる対象にしたエコツーリズムを立ち上げる計画がある。この夏、ガボンから4人を招いてエコツーリズムの研修をした。エコツーリズムの先進国である日本の知識と技術で、ガボンにエコツーリズムの専門家を育成するためである。世界遺産の登録を機に、富士山のふもとにあるエコ・ロジックの新谷雅徳さんに指導をお願いした。

富士山を訪れる前に埼玉県の飯能市で研修した。飯能市はエコツーリズムの草分けで、2007年にエコツーリズム推進法が公布されるずっと以前から市民ぐるみの活動を展開している。飯能市には特別魅力的な自然や文化があるわけではない。山や森に囲まれているとはいえ、ほとんどが二次的自然でいわゆる里山である。でもだからこそ、飯能にしか見られない人と自然の長い関わりがある。それを立場の違う人々がいっしょに学び、体験することで歴史ある自然、社会、そして人間の価値を再認識しようという構想だ。研修で訪れた古民家での初老の女性の語りはとても印象的だった。嫁いできてからの異なる文化との出会い、戸惑い、新しい発見などを家屋に残る歴史の跡や手作りの料理を通して実感させてくれる。それは、いったい何を観光客に見せたらいいか悩んでいたガボンの人々に大きな光を与えた。

アフリカ諸国は急激な開発の波に洗われてきた。世界第2位の水量を誇るコンゴ川流域の豊かな森林も近年急速に失われ、多くの生物が絶滅し始めている。幸いなことにガボンは人口が少ないこともあっていまだに国土の85%が森林で生物多様性が高い。しかし、石油開発や有用材の伐採で開発の生々しい爪痕が残り、伐採後に取り残された村々は現金収入の不足と、野生動物による畑荒らしに苦しんでいる。地元の人は野生動物を積極的に保護する気にはなれないし、こうした葛藤を持ちながら観光客に自分たちの暮らしを見せることに戸惑いを感じている。

でも飯能市も昔をたどれば自然との葛藤と調和の繰り返しだったはずだ。それを人々が今、訪問客に見せられるのは、歴史を否定せず、その中に固有の価値を見つけたからだ。その葛藤は続いている。人々が朝ドラを見ているときに、決まってサルが畑に侵入するという。動物たちも人間の暮らしに応じて行動を変えるのだ。ガボンの人々はその話に自国で直面している問題を重ねることができた。

エコツーリズムを通じて人々の意識は変わる。それは外からの訪問客を意識して体裁を整えることではない。地元の人々が荒ぶる自然の中であらがい、生き延びるために思考し、作り上げてきた歴史的遺産を再認識し、それを分かりやすく伝える仕組みを考案することに他ならない。そのためには「語ること」が重要になる。古民家の語り部が老婦人でなかったら、私たちは別の印象を持っただろう。語りにはさまざまな解釈がともなう。歴史的、自然科学的、社会科学的な文脈で、語られた内容を訪問客の立場に沿って意味づけ、価値づけることが必要になる。それを手伝うのが私たち専門家の役割だと思う。

かつてヨーロッパを歩いて、私はすでに原生の自然がなく、すべてが里山であることにがくぜんとしたことがある。自然管理の思想や方法が発達したのも無理はない。でもアフリカにも日本にもまだ人知の及ばない原生林があり、人が野生と出会う里山が大きな価値を持っている。そこをエコツーリズムの場として活用してこそ、日本の知識と技術を生かした新しい世界が開ける。ゴリラはその良き水先案内人なのである。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2013年09月22日掲載「エコツーリズム・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。