談論風発

山極壽一 (京都大学総長 / PWSプログラム分担者)
2015年04月05日

◎傾聴できる議論重ねて

この3月、学長として初めて卒業式で式辞を述べた。京都大学は対話を根幹とした自由の学風を伝統としている。さて、卒業生諸君はそれを十分に体験して世に出て行くのかと問うたのである。私が大学に入学した1970年は、まだ学生たちがキャンパス内を占拠し、授業もボイコットされたり中止になったりしたが、教員と学生との対話は今よりも頻繁だった。学生たちも自主ゼミを開いて、自らテーマを掲げて必要な文献を持ち寄り、議論を交わしていた。戦前にも、現在の京都大学総合博物館の前身である陳列館の地下室に、「和服に下駄(げた)でやってくる教官たちが必ず立ち寄り、そこで談論風発、学問上の諸問題からゴシップの類まで、学生も交えて賑(にぎ)やかで豊かな時間があった」という記録が残っている。

ところで、談論風発とはいったいどんな様子を指しているのか。私は、明治時代にジャン・ジャック・ルソーの思想を日本に紹介し、自由民権運動を展開した中江兆民の著作を引用した。1887年に出した「三酔人経綸問答」には、3人の論者が登場し、酒を酌み交わしながら日本の国際戦略を論じる。一人は洋学紳士と呼ばれる西洋の近代思想を擁護する論客。もう一人はかすりの和服をきた豪傑君と呼ばれる壮士。そして、お酒の大好きな南海先生である。洋学紳士はルソーさながらに自由・平等・博愛の3原則の確立を説き、軍備の撤廃を主張する。人間は四海同胞たるもの、万一強国に侵略されても、道義をもって訴えれば他の列強は放置するはずがないと言うのだ。いいや、それは学者の書斎の議論である、と豪傑君は反論する。現実の世界は弱肉強食、国家間の戦争は避けることができない。侵略を甘受せずに軍備を整えて大陸の大国に立ち向かうべしと主張する。南海先生はその2人の間に割って入る。双方の説は極端で机上の空論や過去のまぼろしに過ぎない。国内においては立憲の制度を設けて人民の権利を守り、世界に対しては各国の民主勢力と連携を図り、武力をふるってはならないと説く。洋学紳士も豪傑君も南海先生の議論の平凡さにあきれ返るのだが、南海先生は国家百年の大計を議論するのに奇抜な発想などできるはずがない、と言って頑として譲らない。この三酔人はそれぞれ中江兆民の分身と思われるのだが、兆民は三人問答の形式を取って議論の向かうべき道を示したといってよいだろう。

この論議は、今の日本の情勢に似ていなくもない。だが、現代の日本社会は果たして談論風発といえるだろうか。洋学紳士や豪傑君のように極論する人はいるが、南海先生のように議論に割って入る人は現れず、互いに自説を曲げずに相手の議論の不備をののしり合うだけのように見える。

実は、京都大学にもこの問答形式を採用して論を展開した先駆者がいる。霊長類学という新しい学問を創った今西錦司である。1952年に出した「人間性の進化」という著作に、進化論者、人間、サル、ハチを登場させ、文化よりもっと広いカルチュアという概念について、それぞれの立場から論じたのである。本能によって生活している動物は、その行動の目的を知らないが、カルチュアによって生活している人間は、いちいちその行動の目的を知っているところに違いがある、と進化論者が問いかける。するとサルは、「チンパンジーは天井から吊(つ)り下げられたバナナを取るために箱を積み重ねるのだから、目的をわかって行動している」と反論する。これに対して人間は、「目的ではなく、ゴールに到達しようとして行動するのが人間だ」と言い返す。ハチは、「カリウドバチが獲物を穴倉の巣にしまいこんで卵を産み付けるのは、幼虫とその食物の安全さを確保するために予想して行動したように見えるが、これは本能であってカルチュアとは言えない」と主張する。

今西は人間を超えた談論風発を演じて、人間中心的な思考を正そうとしたのである。卒業生諸君に私は、複数の人の意見を踏まえ、直面している課題に最終的に自分の判断を下して立ち向かってほしいと述べた。自分を支持してくる人の意見ばかりを聞いていれば、やがては裸の王様になって判断は鈍る。ぜひ、談論風発を駆使して傾聴できる議論を展開してほしいものである。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2015年04月05日掲載「談論風発・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。