日本人と和食

山極壽一 (京都大学教授)
2012年04月15日

◎自然と人、つなぐ役割

このほど文化審議会が、ユネスコの無形文化遺産に和食の登録を提案することを決めた。自然を尊重する日本人の基本精神にのっとり、地域の自然特性に見合った食の慣習や行事を通じて家族や地域コミュニティーの結びつきを強める重要な文化というのが主な理由だ。大変いいことだと思う。これを機に、和食と日本人の暮らしについて過去の歴史を振り返り、食の文化を育んできた日本列島の自然と人間の関わりについて多くの人々が思いをめぐらしてほしいからだ。

私の専門分野である霊長類学は、人間に近い動物の生き方から人間の進化や文化を考える学問である。人間以外のサルや類人猿(ゴリラやチンパンジー)を野生の生息地で追っていると、「生きることは食べることだ」と思い知らされる。彼らの主な食べ物は自然のあちこちに散らばり、季節によってその姿を変える植物だ。いつ、どこで、何を、どのように食べるかが、一日の大きな関心事である。群れを作って暮らすサルたちはそれに加えて、「だれと食べるか」が重要となる。一緒に食べる相手によって、自分がどのように、どのくらい食物に手を出せるかが変わる。相手を選ばないと、食べたいものも食べられなくなってしまうからだ。

日本列島には43万~63万年前からニホンザルがすみついてきた。人間が大陸から渡ってきたのはたかだか2万数千年前だから、彼らの方がずっと先輩である。日本の山へ出かけてサルを観察すると、彼らがいかにうまく四季の食材を食べ分けているかがわかる。新緑の春には若葉、灼熱(しゃくねつ)の夏は果実と昆虫、実りの秋は熟した色とりどりの果実、そして冷たい冬は落下ドングリや樹皮をかじって過ごす。

サルに近い身体をもった人間も、これらの四季の変化に同じように反応する。もえいずる春には山菜が欲しくなるし、秋には真っ赤に熟れた柿やリンゴに目がほころぶ。人間もサルと同じように植物と長い時間をかけて共進化をとげてきた証しである。人間の五感は食を通じて自然の変化を的確に感知するように作られてきたからだ。

人間はサルと違うところが二つある。まず、人間は食材を調理して食べる点だ。植物は虫や動物に食べられないように、硬い繊維や二次代謝物で防御している。それを水にさらしたり、火を加えたりして食べやすくする方法を人間は発達させた。さらに人間は川や海にすむ貝や魚を食材に加え、野生の動植物を飼養したり栽培したりすることによって得やすく、食べやすく、美味にする技術を手にした。人間は文化的雑食者であるとも言われる。日本人もその独特な文化によって、ニホンザルに比べると圧倒的に多様な食材を手に入れることができたのである。

もう一つの違いは、人間が食事を人と人とをつなぐコミュニケーションとして利用してきたことだ。サルにとって食べることは、仲間とのあつれきを引き起こす原因になる。自然の食物の量は限られているから、複数の仲間で同じ食物に手を出せばけんかになる。それを防ぐために、ニホンザルでは弱いサルが強いサルに遠慮して手を出さないルールが徹底している。強いサルは食物を独占、決して仲間に分けたりはしない。そのため弱いサルは場所を移動して別の食物を探すことになる。

ところが人間はできるだけ食物を仲間と一緒に食べようとする。一人でも食べられるのに、わざわざ食物を仲間の元へ持ち寄り共食するのだ。共食の萌芽(ほうが)はすでにゴリラやチンパンジーに見られる。彼らはもっぱら弱い個体が強い個体に食物の分配を要求し、いっしょに食べることがある。人間はその特徴を受け継ぎ、さらに食物を用いて互いの関係を調整する社会技術を発達させたのだ。

食事は人間同士が無理なく対面できる貴重な機会である。人間の顔、とりわけ目は対面コミュニケーションに都合良く作られている。顔の表情や目の動きをモニターしながら相手の心の動きを知り、同調し、共感する間柄をつくることができる。それが人間に独特な強い信頼関係を育み、高度で複雑な社会の資本となっていった。

日本人の暮らしも、食物を仲間と一緒にどう食べるかという工夫の上に作られている。日本の家屋は開放的で、食事をする部屋は庭に向かって開いている。四季折々の自然の変化を仲間と感じ合いながら食べるために設計されている。鳥や虫の声が響き、多彩な食卓の料理が人々を饒舌(じょうぜつ)にする。その様子をだれもが見たり聞いたりでき、外から気軽に参加できる仕組みが、日本家屋の造りや和食の作法に組み込まれている。だが、昨今の日本の暮らしはプライバシーと効率を重んじるあまり、食事の持つコミュニケーションの役割を忘れているように思う。和食の遺産登録を機に、自然と人、人と人とを豊かにつなぐ日本の和の伝統を思い返してほしい。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2012年04月15日掲載「日本人と和食・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。