個人重視の現代生活

山極壽一 (京都大学教授)
2012年07月29日

◎理性欠く感情の高まり

長らく、感情は理性と対立する概念だった。感情は身体に寄り添う情動で、衝動や欲望に強く結び付いている。これに対して理性は自他の意識を前提に物事の道理をわきまえて判断する高次の知的作用で、人間だけが生み出した精神の営みとされた。両者はしばしば拮抗(きっこう)し、感情の急激な高まりは理性の働きを阻害する。その葛藤を克服し、理性によって感情をコントロールすることが、社会人となるために必要であると考えられてきた。

しかし、感情と理性は常に対立するものではない。むしろ理性を働かせるために感情が必要となる場合が多い。たとえばプラットホームで電車を待つ列に並んでいる時、割り込んでくる人に対し無性に怒りがこみ上げて注意してしまう。理不尽な政策に抗議したいと思いながら行動に出ることをちゅうちょしていた時シュプレヒコールに背中を押されて街頭デモに加わる。これらの感情は他者の行いに気を配らずに自分勝手に行動する者へ怒り、自分の思いを他者と同調させて実現したいという欲求によって生まれる。それは人が社会的に生きるために不可欠な心の動きだ。

サルや類人猿の行動を見ていると、人間の理性は感情の進化の上に思考という心の働きが加わって生まれてきたことがわかる。サルは仲間の態度に敏感に反応する。仲間が悲鳴をあげれば、何をめぐって誰とトラブルがあるかを理解する。そして、そこに介入するかどうかを判断するのだ。当事者がどちらも自分と親しくなければ、あるいは自分より強ければ、介入しない。親しければ加勢するが、強い方の味方になることが多い。サルはいつも、どの仲間が強いか弱いかを知っていて、強いサルに加勢してトラブルを抑えようとするのである。

ところが、ゴリラやチンパンジーだと、どちらか一方に加勢するよりもトラブルそのものを抑えようとする。ゴリラは攻撃した方をいさめるし、当事者より小さいゴリラが介入することがある。チンパンジーもよくけんかに割り込んで仲裁するし、傷ついた者を抱いてなぐさめる。これはゴリラが体の大きさにとらわれずに、互いに対等でありたいという気持ちを、チンパンジーはトラブルが広がることを恐れる気持ちを強く持っているからだ。その基本的な感情がもとになって彼らの社会は作られている。

人間も類人猿たちと同じような感情を持っている。弱い者を助けたいし、不公平には憤る。他者のトラブルに敏感なのは、人間が同調しやすく、自分が巻き込まれることを期待したり恐れたりするからだ。人間は身近に起こった他者のトラブルを放ってはおけない。自分の行為が正しいか間違っているかを考える前に、既にそのトラブルに巻き込まれていることが多い。すぐに決断を求められている際に複数の選択肢があれば、自分の感情のおもむく方にかじを切ってしまうことがよくある。理性はその行動に後で理由をつけるに過ぎないことだってあるのだ。

サルも類人猿も人間も、視覚によって物事を判断する。見たことが事実であるし、不明なことを見て確かめようとする。だから見られている時とそうでない時は、同じ人間でも行為を変えることがある。道徳はまず、人に見られている時の行為を教えてくれる。その規範を内面化し、人に見られていなくても行うようになるのが社会人の条件でそれが理性の源泉になる。

しかし、昨今の生活状況の変化は見られる機会や意味を減らし、感情に重きを置いた行為を選択させているように見える。窓を閉め切った家で、冷暖房の利いた快適な暮らしを営む一方、近所の人々との付き合いはなくなった。朝出かける時も夕に帰宅する時も、人とあいさつすることさえ希薄になった。インターネットのおかげで自由に情報にアクセスできるので、誰にも相談せずに知識を得たり判断したりできるようになった。他者を否定することも肯定することも、自分一人の判断で行えるようになった。それは他者の存在を考慮せず、自分の感情のおもむくままに行動する傾向を助長してしまう。

かつて感情は理性の働きを助け、行為を発動させるエンジンの役割を果たしていた。今それは、社会の実感を伴わず、自らの身体に忠実に動くように人々を駆り立てている。スポーツに熱狂し、コンサートホールに出かけ、両手を突き上げて踊る姿は、他の人々と心や体を同調させることがどんなに楽しいかを教えてくれる。現代はそういった感情の表出が可能な時代なのだ。しかし、日々の感情の高まりが本当に社会に生かされているだろうか。「アラブの春」は、悪政に抗議する人々が一斉に感情を爆発させて政府を倒した事件だった。今その感情がどのような社会の実現によって満たされるかが問われている。たやすい道ではない。現代の個人重視の生活意識を変えずして実現することはできないと思う。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2012年07月29日掲載「個人重視の現代生活・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。