昔親しく付き合った野生のゴリラに、アフリカの奥地まで会いに行ったことがある。26年ぶりだった。思春期のオスで、別れたときは8歳。人間なら中学生から高校生の年齢に当たる。再会したときは34歳になっていた。ゴリラの寿命は40歳ぐらいだから、もう老境といっていい。
驚いたことに、彼は私を覚えていた。でも、人間のように私の名前を呼んで駆け寄ってきたわけではない。じっと私の顔を見つめているうちに、老いた顔がみるみるうちに子どもの顔になり、昔よくやった格好であおむけに寝てみせたのだ。そして、子どもの頃に戻ったかのように、近くにいた子どもゴリラたちと遊びはじめた。それを見て、私も彼と遊んだ昔を思い出して、体がざわざわと動くのを感じた。まさに記憶が体の中でよみがえった瞬間だった。
遠い日本でいくらゴリラのことを懐かしく思い出しても、体が騒ぐことはないし、昔に戻ったような感覚になることはない。でも、かつて慣れ親しんだ風景の中で懐かしい顔に出会ったら、思わずその頃の自分に戻ってしまう。それは記憶というものが自分の体験した世界の中に張り付いていて、それを見たり感じたりしたときに生き生きとよみがえるからなのだと思う。ゴリラとの再会で、人間以外の動物にも、その能力があることが確かめられた。記憶は決して言葉によって支えられているのではなく、ゴリラと人間に共通な五感によって形作られるものなのだ。
実は、人間はいくつかの場所に住みながら、過去の記憶をつなぎ合わせて人生を作っている。違う場所の記憶ではなく、同じ場所で暮らした記憶がつなぎ合わされるのである。私は1980年代のちょうど半分ずつぐらい日本とアフリカを行ったり来たりして過ごした。だから、私にとって80年代はとても短く感じる。日本でもアフリカでも5年ほどの記憶しかないからだ。アフリカに行くと、その前に滞在していた記憶が呼び起こされて、不在の時がなかったかのように過去とつながる。日本へ帰ってくると同じように、不在の時が消されて過去がよみがえる。そんなことを繰り返して、私は二つの世界を半分ずつ生きたのだ。
でもそういった二重生活が可能だったのは、日本やアフリカにいる友人たちが、空白の時を感じさせないように遇してくれたからだと思う。もし、私のいる場所がなくなっていて、私のことを記憶している人がいなかったら、私はその土地で過去とつながることができなかったに違いない。
ニホンザルを観察していると、サルたちが実に潔く過去と決別していくように見える。いったん自分のいた群れを離れると、元の仲間たちとは関係を絶ってしまうし、たとえ戻ってくることがあっても元の関係が復活することはない。サルにとって、不在は社会関係の消滅を意味するのだ。
人間はいつのころからか、親しい仲間との関係を絶たずに旅をする能力を手に入れた。見知らぬ場所で新しい仲間と暮らすこともできるし、元の場所や集団に戻ることもできる。それは、人間がよそ者を温かく受け入れ、参入者も新しい環境にすぐに順応するからだ。しかも、人間は元の集団の仲間との関係も保ち続け、複数の集団へアイデンティティーをもつことができる。だからこそ、移住した人々は元の集団と新しく加入した集団のかけ橋になることができるのだ。サルにはそれができない。不在が現在と過去の関係をつなぐことを妨げるからだ。人間はそれが可能な社会を作った。いったん受け入れた仲間の場所は、不在になっても消滅することはない。
東日本大震災は、そのような人間社会が根元から崩れさる衝撃をもたらした。土地も人も消滅し、過去と現在をつなぐ記憶も危うくなった。あれから2年半、今こそ私たちが築いてきた社会の真価が問われている。人々が過去とつながりながら自由に行き来できる社会を保証できるかどうか。新しい社会へ温かく迎え入れ、不在にした土地や社会へ戻る道を作ることができるかどうか。ゴリラでさえ、26年前の記憶は私をゴリラの世界へ温かく迎え入れてくれた。人間はそれを大きく発達させて現代の社会を作ったはずである。今、私たちの人間性が試されているのだと思う。