この4月から、公益財団法人日本モンキーセンターの博物館長を兼任することになった。ここには日本で唯一、博物館に登録されている動物園がある。大学と密接なつながりを持つ、世界でも珍しいアカデミックな動物園だ。レクリエーションだけではなく、動物を通して学ぶ場として活用してほしい。園内を歩きながら、改めて動物から人間が何を学べるかを考えてみた。
春の暖かい日差しを受けて歩くと、子どもたちのにぎやかな声が耳に心地よく響く。冬の寒さで縮こまっていたサルたちもにわかに活気づき、好奇心に目を輝かせて走り回る。なぜこんなにも、子どもたちは動物が好きなのだろう。
野生のサルやゴリラを研究してきた私は、子どもの絵本に間違った動物の姿が描かれているのに大きな不満を持っていた。大きな耳を羽ばたかせて空を飛ぶゾウや、大粒の涙を流し、二足で立って歩くウサギなんてこの世にいるわけがない。そもそも動物が人間の言葉で話すなんてあり得ない。現実にはない動物の行動を物語にして、子どもたちに聞かせるのは教育として誤っているのではないかと思っていたのだ。
でも、アフリカの奥地でゴリラの調査をしながら、村々を渡り歩いて子どもたちの学びの場を目にすると、私の方が間違っているのではないかと思い始めた。中央アフリカの熱帯雨林では、村人たちが子どもたちに昔話を語る。そこに登場する動物たちは絵本の世界のように、人間の言葉をしゃべり、人間のような性格でドラマを演じる。アフリカばかりでなく、世界中のどの民族にも、絵本で語るような動物の物語があるし、それを聞いて子どもたちは育つ。
まず自然は子どもたちにとって優しいものでなければならないのだ。言葉を操る人間の子どもたちにとって、世界は体で感じる対象であるとともに、想像するものでもある。そのなかで動物たちはさまざまにデフォルメされ、子どもたちに語りかける。初めて出会う多様な動物たちに子どもたちは驚きの目を向け、その動物たちに同化して、世界をながめるようになる。その驚きと感動こそが、子どもたちに想像する力を与えるのだ。
動物園とは、ちょうどこの絵本や昔話と実際の世界との中間にあると思う。野生の動物たちが人間の前でのんきに日なたぼっこをすることなどめったにないし、自らやってきて語りかけることなどあり得ない。多くの野生動物たちは人間と敵対関係にあり、人間を避けようとしているからだ。彼らが実際どんな姿をして、どんな暮らしを送っているか、子どもたちが近くで詳しく観察することは不可能なのである。
動物園はお話の中に登場する動物たちの本当の姿を教えてくれる。どんなにおいがして、どんな声を出すか、人間と違うどんな能力があるのか。子どもたちはそこで、自然が自分たちの想像を超えるリアリティーに満ちていることを悟るのだ。しかし、それはまだ本当の自然ではない。野生動物たちの能力は、彼らが実際に暮らしている自然の中で発揮されるからである。
私が園内を歩いた日、ワオキツネザルの赤ちゃんが誕生した。母親のお乳を気持ちよさそうに吸う赤ちゃんをわずか20センチの距離から人間の幼児がのぞき込んでいるのが印象的だった。彼らはここまで人間を受け入れてくれるようになった。きっとこの幼児はキツネザルの赤ちゃんになった自分を感じていたに違いない。それが人間の子どもの素晴らしい能力だ。子どもたちは動物ばかりか、岩にだって風にだってなることができる。しかし、やがて子どもたちは本当の自然のなかに、人間としての自分を見つける。だから、動物園は動物たちの野生の姿を見せなければいけないのだ。
サルを知ることは人間を知ることにつながる。実は、人間は自分の野生の姿や心をよく知らないのである。人間は長い間、サルや類人猿と同じ自然の中で暮らしてきた。自然を改変し野生動物を排除して、人工的な環境で暮らし始めたのはつい最近のことなのである。私たち人間を育てた野生の世界を知ることは、これからの人間が歩むべき道を考えることに役立つはずである。サルの世界を通してそれを伝えるのも博物館の役割だと思う。