道徳の低下と孤独な社会

山極壽一 (京都大学総長 / PWSプログラム分担者)
2015年01月25日

◎恥と罪の共同体 再生を

道徳の復活、道徳意識の強化を求める声が高くなっている。小中学校におけるいじめ、ストーカー被害、インターネットによる嫌がらせ、無差別の暴力、ヘイトスピーチなど、常識を疑うような事件が頻発しているからだろう。最近、道徳の起源をめぐる2冊の本が相次いで出版されたのも、世間のこうした声を受けてのことだろうと思う。

「道徳性の起源」を書いたフランス・ドゥ・バールは、アメリカのヤーキス研究所でチンパンジーの行動を研究してきた。「モラルの起源」を書いたクリストファー・ボームは南カリフォルニア大学の文化人類学者で、狩猟採集民の社会を研究するとともに、タンザニアで野生チンパンジーの行動観察にも取り組んできた。2人はともに、道徳がチンパンジーなど人間以外の動物の社会的な感情に起源を持つと主張する。群れを作るサルは仲間の行為を見てそれに同調し、共感する能力を持っている。チンパンジーなどの類人猿はさらに苦境に陥る仲間を助けようとする。加えてサルも類人猿も、群れの規範に従わない仲間を罰しようとする傾向がある。たとえ、それが最も力が強いオスであっても、自分勝手な振る舞いをすれば群れ全員の攻撃にあう。こういった共感や同情の能力が高まって、逸脱者を取り締まるルールが内面化し、人間に道徳意識が発達したというのである。

実は19世紀に進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンも、道徳の進化に頭を悩ませた一人だった。進化の中で有利な性質は、子孫を通じて伝えられる。しかし、命を賭して見ず知らずの他人を助けようとする行動は、子孫を残す前に死んでしまえば伝わらない。いったいどうして、人間にはこんな道徳が発達したのだろうか。ダーウィンは、顔を赤らめるという現象が人間に普遍的に見られることから、恥を感じることに道徳意識の芽生えを予測した。

ボームは、狩猟採集民の行動に関する膨大な資料を集め、赤面するという生理現象がどの民族にも共通なのに、ゴリラやチンパンジーなどの類人猿には見られないことを確かめた。しかも、罪の意識は人間でも文化によって異なる。つまり、人間は類人猿との共通祖先と分かれてから、まず恥の意識を持つようになり、文化が発達してからそれぞれの社会規範による罪の意識を持つようになったと考えることができる。

ではどうやって、人間は犯罪や逸脱者を抑えてきたのか。2人の著者は、ともに協力の不可欠な環境と言葉の役割を強調する。人間は類人猿のすめない過酷な環境に進出し、仲間内でうわさ話をしながら協力を強化してきた。言葉によってスキャンダルや恥ずべき行為をあげつらい、それを罰し、共同体から排除することによって、罪の意識を定着させてきた。ただ、これまで人間が暮らす社会は小さく閉じていたので、いまだに共同体の外に恥や罪の意識を拡大することができていない。「他人にしてもらいたいと思うことをせよ」という黄金律は共同体の内部のみに通用する話なのだ。

現代の社会でなぜ道徳の力が弱ってきたのか。人間に普遍的な恥の意識がそう簡単に薄れるはずはない。恥を感じたときにその行為を抑制できる環境や、罪を感じるルールが内面化されていないのが原因だと思う。隣人関係が希薄になり、共同体内部でうわさ話によって抑制し合うことがなくなってきた。さらに、多様な文化や価値観が入り交じり、どのルールを基準にしたらいいか判断が難しくなった。宗教が模範を示す力を失ったのも大きな原因だろう。道徳は自分が属したい共同体があってこそ成り立つ。それがなければ、道徳は心に宿らないのである。

道徳の低下は、現代の日本人が急速に孤独になったことを示している。それを少しでも埋め合わせようとして、人々は自分の行為をブログやフェイスブックに載せて報告する。しかし、ネット上の共同体には行為を抑制する力はないので、逸脱した行為を止めることも罰することもできない。文部科学省は中央教育審議会の答申を受けて、現在小中学校で教科時間外として扱われている道徳の時間を「特別の教科」として位置づけ、国の検定を受けた教科書の導入を検討している。しかし、道徳を教える前に、恥と罪を意識する信頼できる共同体づくりが先決なのではないだろうか。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2015年01月25日掲載「道徳の低下と孤独な社会・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。