新しい知の共有

山極壽一 (京都大学教授)
2016年01月17日

◎学生の発想生かしたい

この度、京都大学で学生チャレンジコンテストという試みを開始した。学生たちがそれぞれ魅力的な教育研究活動、課外活動、社会貢献活動を企画し、その構想を競う。「おもろい提案」として選ばれた活動をウェブ上で公開し、クラウドファンディングで一般に寄付を呼びかける。そして、活動の進行状況や成果をさまざまな形で公開する。

これまで学生たちが活動資金を集めるためには、綿密な計画書を基金や財団に提出し、専門家たちによる審査を経て、一定額の助成を受けるのが一般的だった。助成を受けた学生は承認された期間で成果を出し、それを報告する。これは、大学院に入って専門的な研究活動に参加する場合でも同様で、研究者の活動の基本的な枠組みである。研究成果はその分野の専門家によって査読されて正しく学術的に位置づけられ、そのオリジナリティーがきちんと確保される仕組みになっている。

しかし、これらの研究成果はともすると専門家だけに共有されてしまい、一般社会に普及しない傾向がある。国際的な学術雑誌に載ってもほとんどが英語で、しかも研究のエッセンスだけが要約されていて、生のデータは公開されない。目覚ましい成果は新聞やテレビ等で報道されるが、その具体的な内容を理解するのは容易なことではない。とりわけ日本では、この20年ほどの間にサイエンスを扱う一般向けのジャーナルが著しく減ってしまった。一般の人々が現在実施されている研究活動の実態に接する機会はほとんどない。

また、研究者も評価の高い国際誌に掲載されるために英語で論文を書くことに熱中し、日本語で成果を公表することにあまり関心を高めなかった。とくに自然科学系の研究者には、本を出版することや、一般誌に文章を書いたりすることは業績として評価されないという意識が強い。そのため、一部の専門家コミュニティーだけに認められることを優先し、自分の研究を社会にわかりやすく説明する努力を怠るようになった。こうした現状が、科学の発展に関する理解と関心を阻害し、高等教育や科学研究費にかける政府の予算を低迷させている原因ではないかと思えるのである。

学生チャレンジコンテストは、その評価と助成を一般社会に委ねる仕組みになっている。むろん基本的なコンセプトについては教員で構成される選考委員会の審査を経るが、それぞれのテーマがどのような支持を得るかは最終的に一般の人々の投資によって測られる。そして、その活動を公開することが義務付けられ、誰もがその進行状況を知ることができる。科学的に価値が高いことだけが選ばれる理由ではない。人々が興味を持ち、支援したいと思わせることがその扉を開くのだ。

この試みは学生たちの起業家精神を育成することにも役立つと思う。オープンサイエンスの動きが加速し、欧米では学生が自分たちのアイデアによって次々に事業を起こし始めている。これは、情報機器が発達してデータをウェブ上で共有し、それを多くの人々が分析したり討論したりしながら課題や解決を求めていく方法で、日本でも普及しつつある。研究の結果やそのエッセンスだけを公開するのではなく、生のデータを公開し広く使ってもらおうというのだ。学生のうちから自分の新しいアイデアを世に問い、その実現過程を公開しながら、社会の意見に耳を傾ける。そこからどのようなアイデアや事業が成功するかを推し量る能力が育つだろう。

オープンイノベーションの試みも普及し始めている。複数の企業同士や、企業と大学との間でデータやアイデアを出し合い、ともに議論し製品開発を実施していく動きである。だが、やはり企業は自社の利益を優先するため、最新のデータやアイデアの共有を渋る傾向があると聞く。そこは大学が大きく門戸を開くべきである。

大学の研究は公開が原則である。そのため、これまで企業との共同研究があまり進まなかった。しかし、むしろその立場を利点として、多くの企業が参入してデータを共有し、イノベーションを多発させるような場を大学が作るべきであろう。そのためにも、常識を超えるような発想を持つチャレンジングな学生を巻き込むことが必要だと思う。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2016年01月17日掲載「新しい知の共有・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。