留学生と学術外交

山極壽一 (京都大学教授)
2016年02月21日

◎活躍する機会、提供を

アフリカのガボン共和国で、昨年博士の学位を取って帰国した留学生と再会した。彼は今、自分の国の研究機関で、生物多様性の保全研究に取り組んでいる。改めて日本で暮らした印象を聞くと、古都で安全な暮らしを満喫したと同時に学位を取ることが予想外に大変だったと話してくれた。

彼は2009年に始まった科学技術振興機構(JST)と国際協力機構(JICA)の地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)の一環として、わが大学の博士課程に留学した。森林性カモシカ類の分布と遺伝的構造に影響を与える地形的要因が学位論文のテーマだった。

この研究テーマの大枠は、彼が日本に来る前に現地の保護区で実地調査をしながら決めた。当時研究室の助教だった井上英治さんやポスドクの中島啓裕さんがいろいろと助言を与えてくれた。だが、細かなテーマや研究方法は、日本で手取り足取り教えてもらえると思っていたらしい。日本へ来て私の研究室へ入り、ゼミで研究計画を発表したとき、大いに面食らったという。あちこちから「なぜ、そのテーマを選んだの?」「その研究をしていったい何を知りたいの?」「その研究は将来どういった新しい視点や活動につながるの?」といった質問が矢継ぎ早に浴びせられたからである。彼は指導教員の私たちをちらちら見たそうだが、積極的な反応がなかったので、これは自分で答えねばならぬと覚悟を決めたそうだ。

それから彼の苦闘が始まった。何をやるにも自分で考えて計画を組み立てねばならない。研究室の仲間から助言は得られるものの、必ず「その方法で知りたいことは何なの?」という質問が発せられる。実際にデータを取って分析すれば、データの採取法や分析方法に異議が出されたり、結果の解釈の仕方や先行研究との比較に疑義が生じたりする。それをいちいち自分で検証し答えていかねばならない。何度もノイローゼになりそうになったと打ち明けてくれた。

しかし、それは彼に限ったことではない。同じ研究室で学ぶ学生も、テーマは違うものの厳しい質問の嵐に立ち向かう。甘えや同情は通用しない。日ごろ親しく付き合う仲でも、研究者としては手厳しいコメントが寄せられる。それらに自分のデータと考えで十分に答えられるようになって初めて論文の執筆に取り掛かることができるのだ。学位論文ははじめから終わりまですべて自分で責任を持たねばならない、というのが私の研究室の方針だった。彼はこのテーマで3本の論文を書いたが、最初の計画とはずいぶん違う内容になった。学位論文の公聴会を終えたときの、彼のほっとした表情とはじけたような笑い顔が忘れられない。

今、彼は自国でかつての自分と同じように生物多様性の保全研究を志す学生を教えている。教える立場に立って初めて、自分が考えに考えぬいた経験が貴重だったことに気がついたという。日本で仲間たちが自分に発した質問を頭に浮かべ、いろんな方向からその現象を問い直してみると、未解明の興味深いテーマが次々に浮かんでくるからだ。それを彼は自分が受けた通りのやり方で学生たちに問いかけている。

すばらしいことだと思う。私は彼が技術や知識だけでなく、自分で問いかけ、答える力を身につけてくれたことをとても誇りに思う。日本の大学院教育は世界に誇る内容を持っている。それをもっと海外の、とりわけ発展途上国の学生たちに提供できないだろうか。近年、国費留学生の枠を広げてずいぶん海外から日本へ学びにやってくる学生が増えた。しかし、気がかりなのは学位を取得した後の支援である。せっかく日本で質の高い教育を受けても、それを自国や国際舞台で生かす機会が乏しい。ガボンの学生は研究職についていたから復帰できたが、多くの留学生は帰国後の職探しに四苦八苦している。そういった学生たちに活躍する機会を与え、日本で習得した学問を生かしてもらうことこそ効果的な学術外交につながるのではないだろうか。ガボンにも近隣のアフリカ諸国にも日本で学位を取った若者たちが少なからずいる。彼らは互いに連絡を取っていっしょに活動することを願っている。彼らが手を取り合って新しい未来を築くことを、ぜひ後押ししてほしいと思う。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2016年02月21日掲載「留学生と学術外交・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。